Home > 雑感

平和の道具

核抑止力とかいって
核を持て、持てという意見が散見されるけど
むしろ核兵器を無力化することはできないのかな
科学技術の力で実現できないのかな
そんなものを発明できたら
ノーベル平和賞をいくつあげても足りないね

病気であればワクチンとか治療薬を
一生懸命作り出そうとするのに
わざわざ核兵器なんて大病を持とうとしないで
それを無力化するようなものを見つけられたら

持ってても仕方ない物になれば
コストばかりかかって役立たずな物になれば
まだそんなん持ってんの、ダサいねなんて
言われるくらいの遺物になれば
そんなの持ちたいと思うこともなくなるのに

核兵器だけじゃなくて
あらゆる武器という武器が
兵器という兵器が
戦争に使われる(人間以外の)何もかもが
科学技術の発展と人々の願いによって
根こそぎ無力化される時代が到来して

そう、いつかー
昔の人々は「武器」や「兵器」なるものを使って
人間どうしで殺し合いをしていたんですよ・・・
ええー信じられない!
なんて悲鳴が聞こえるような世の中になったらいいのに
そんな未来が来たらいいのに

信仰と宗教

信仰と宗教は違う

信仰はたった一人でも
成り立つものだから

まことの偉人たち

だれかのために頑張れるのは
当たりまえのこと
ただひとりでも
愛する人や仲間がいるなら
どんな苦境に立たされても
その人のために頑張れるのは
当たりまえのこと
そんなので泣けるなんて
安っぽい幸せな感性

まことの賞賛に値するのは
誰からも相手にされず
誰からも忘れ去られた中で
荒みもだえ苦しんで
心も体も醜くなりながら
ひとすじの光を求めて
なんとか今日も
生きのびている人たち
今あなたたちの目にも
わたしの目にも
全く見えていない人たち

2021年1月3日 晶

ふたたび、ここへ

共感に飢え乾いて
ここにたどり着きました

わたしは共感がほしかった

生きている意味なんていらない
生きている実感がほしい

ひたすら願い続けました

心底欲したものすら
何ひとつ得られなかった

そしてまた
ここにたどり着きました

2021年1月3日 晶
故郷の詩(詩人の糧)

行方知レズ


「神さま、わたしを詩人にしてください」

14のときにはっきりとお伝えしたことを
神さまは覚えていてくださったのかしら
お昼休みにたったひとり抜け出した公園のベンチで
木々たちのあたたかさに触れながら
木もれ陽の下、季節外れの夏みかん
ひとりきりのときに目に入ったものすべてが
肌に触れるほど鮮やかで
午後のチャイムが鳴る直前まで飽きることなく
神さまと内緒話 

あのころははっきりと道が見えていた
ことばがわたしの中で踊るようだった
神さまは確かにわたしと共におられた
一人でも孤独ではなかった
寂しさより悲しさよりずっと深くに
なつかしさを感じていた
なつかしさは、わたしの故郷だった

ちょっとばかり大人になってから
わたしは一度も二度も三度も何度も
迷子になっては行方がわからなくなった
世間の理解を求めたのかもしれない
分不相応の愛や目に見える社会的な絆を
得たいと思ったのかもしれない
得られると勘違いしたのかもしれない
わたしは弱くなった
みるみるうちに安寧は露と消えた
孤独な日々が幕を開ける
わたしの奥に痛みが走った

しばらくすると
神さまはわたしをついに探し出して
あるいはちょっと遊ばせておいて
まったくよくわからない大きな力で
ふたたび、このせかいへ運んでくださった
何度も何度も わたしを見つけ出しては
ここまで運んでくださった
それなのに
わたしはまた道を見失った

とほうもない寂しさと虚しさと
かつてない苦しみと痛みと
これ以上ないと思えるつまらなさを
何度も更新し続けて
たったひとり
神さまの呼び鈴をたよりに
わたしは このせかいへもどる
みにくさみちくさ さんぽみち
くりかえし、くりかえし、
醜さ道草 散歩道
なつかしいあのじゃり道は
どこへ行ってしまったのかしら

くるおしいほど恋しい共感は
いまもまだ得られていない
あれから30年近く経ったけれど
まだ少しも得られていない
どうしてだろう
小さな幸せを求めているだけなのに
どうしてかしら
小さな絆を知りたいだけなのに
神さま 神さま

わたしは神さまに問いかける
そしてまた行方をくらませる
神さまはなつかしい呼び鈴を鳴らして
わたしを呼び戻してくださる
ああ神さま 許されるなら
だれかを使者によこしてください
ひとりぼっちで戻るのは大変なのです
これ以上はもう歩けないかもしれません
そんなのわがままかしら
そんなのぜいたくかしら
昔のわたしなら 神さま
あなたと楽しく戻れたのに
行く先々で何かを見つけて 笑って
とても楽しかったのに
一本道の終わりが見え始めている
鈴の音が聞こえなくなったら
わたしは帰ってこられるかしら
ふたたび ここへ
帰ってこられるかしら

2021年1月3日 晶

「女性」について

ここ最近の傾向ではありますが

「女性の権利」を高らかに主張する人ほど

女性を貶めている気がいたします。

 
2021227日 晶 


女性蔑視、職業蔑視などと仰いますが、

そのように主張される貴女がたの方が

よほど差別的に思えるのです。

 2021227日 晶 

外で働くこと
家庭の中で働くこと
どちらも誇るべきこと

2021年2月27日 晶

イクメンもいいでしょう。イクメンという言葉が嫌いだ、子どもの世話をするのは当たり前、とおっしゃる男性も女性もおられるでしょう。
一方で、子どもの世話は母の役目、家庭を守り抜くのは妻の使命だと、誇りをもって生きてきた女性たちもおられます。
その逆も、また然りでしょう。
すべて、かけがえのない、人生です。

2021年2月27日 晶

いろいろな、人生があります。しかし、女性がみな、男性と同様に外で働くことを良しとするような意味での「男女平等」や「女性の権利」を望んでいるとは限りません。そう思われたくはありません。家庭に入ること、奥さんと呼ばれること、おふくろの味を否とするような、そんな風潮には賛同しがたいのです。

2021年2月27日 晶


誇りをもって家庭を守り続けた母たちに

わたしは心から尊敬と感謝を伝えたい。

 2021227日 晶 

 

父が定年を迎え、家事を手伝うようになり、母は悲しんでいた。

「どうしてだろう…?」

わたしにはわからなかった。

あるとき母は、私にだけそっと呟いた。

「ここは私のテリトリー。台所には入ってこないでほしい。」

―ああ、そうか…!ここは母の主戦場、母が戦いぬいた場所なのだ―。

キッチンを見ると思い出す。
子どものころ、見上げればいつも母はそこに立っていた。

朝は朝食を作りがてら子どもたちの弁当を作り、昼には帰宅する父の昼食の支度をし、夕方には帰宅する子供たちのおやつを用意し、夜は家族全員の夕食を作り、時には突然やって来たお客たちのために、もてなしの料理を次々と準備する。その間に洗濯、掃除、アイロンがけをこなす。縫物をすることもある。来る日も来る日も、野菜を切る心地よい音、食器を洗う軽やかな音、掃除機の唸る重厚な音・・・母の奏でる味わい深い音色が響いていた。
家事漬けの毎日であったが、母が愚痴をこぼしたことは一度もなかった。ちゃきちゃきと、家中を縦横無尽に動き回っていた。その姿は、生き生きと輝いていて、とても美しかった。

子どもたちの世話は、母が何よりも大事にしていた仕事であった。
子どもたちを、邪魔にしたことなど、一度もなかった。子どもたちの声を、無視したことは、一度もなかった。家に帰るたび、母が笑顔で迎えてくれた。毎日毎日、「おかえり」と、安堵のこもった嬉しそうな笑顔でドアを開けてくれる母がいた。わたしは、それを「当たり前」と思っていた。幸せな日々だった。帰宅が遅くなる日は、「早く帰っておいで」と受話器ごしに母の心配そうな声が響いた。

大人になって、兄たちが家を離れても、母は全く変わらない。兄たちからの電話を無視することは、一度もない。78歳になり、すっかり疲れて眠りについた直後でも、よろめきながら、突然起こされてひどい声でも、必ず電話をとる。髪を染めている最中でも、同じだ。「都合が悪いときは、電話をとらなくてもいいのよ?」と私が言っても、母は頑なに首を横に振る。

そして、今日もわたしを笑顔で迎え入れてくれる。

母は、唯一無二の、誇り高い専業主婦である。

世界一の、宇宙一の、わたしの母である。

 
2021227日 晶

女性については、上記に書いた以上のことは、もう二度と書くことはないと思います。
わたしの意見を、不快に思われる方々も多くおられるでしょう。
ただ、昨今の「男女平等」や「女性の権利」の動きに疑問を持つ女性たちも、少なからずおられるのではないでしょうか。「母性」や「おふくろの味」「奥さん」という言葉が消えていくことに、悲しみを覚える方々もおられるはずです。
しかし、そんな女性たちは、決して声をあげません。
彼女たちは、受け入れて、耐え忍びます。世間の声に抗わず、何を言われても、家の中で、家庭の奥で、夫と子どもたちを守り続けているのです。それが、彼女たちの誇りだからです。
わたしは、残念ながら、そうした女性にはなれませんでした。
だから、彼女たちを知る一人として、僅かでも、声をあげておきたいと思います。
「家庭」に入ること、「奥さん」と呼ばれること、「お嫁さん」と呼ばれること、「主婦」になること、そのすべてに誇りをもって生きてきた女性たちがいます。
どうか、そんな声にも耳を傾けていただきたい。それもまた、今となっては、声にならない声なのです。
近年、虐げられてきた女性たちの、声にならない声については、様々な形でクローズアップされてきています。もちろん、まだまだ足りない部分もあるでしょう。
しかし、その一方で、家庭の中で、誇りを貫いてきた女性たちの声もまた、今の世の中では世間の皆様に届きにくい状況です。彼女たちの尊厳についても、どうか奪わないでください。「主婦」として家庭を守り抜いた強く美しい母たちのことを、どうか忘れないでください。世の中の記憶に、とどめておいてください。
「家庭に入りたい」、「お嫁さんになりたい」、そんなことが言いにくい時代になった今だからこそ、どうか、そうした声も軽視しないでください。それもまた、個々人の、かけがえのない人生なのですから。

2021年2月27日 晶

信仰と宗教は違う

「信仰と宗教は違う。」

これは、私が10代の頃にふと浮かんだ確信です。
奇妙なことに、ふと浮かんだ言葉にこそ
確信があったりするのです。

幼い頃から「神さま」を感じていました。
そのせいか、一人でも孤独を感じたことはありませんでした。
一人でいても、常に誰かがそばにいてくださる感覚。
いつしか、私はその存在を「神さま」と呼んでおりました。

12歳のときでしたか、お部屋に両開きの戸棚があったので、
両手をあわせて、そこで祈っていました。
祈るというよりは、神さまとのおはなしのようなものでした。
大人の言葉を使えば、対話というのでしょうか?
あるとき、年の離れた兄が、棚に向かってぶつぶつ言う妹の姿を見て、「誰かそこにいるのか?」と扉ごしに聞いてきました。
私は当たり前のように「神さま」と答えました。
そのときの兄の驚いた顔、「俺の妹が変だ!」と母のもとへ走ってゆきました。
母は「のんのんおばあちゃん(曾祖母)も信心深かったから、その血かしらねえ。別にいいんじゃない?人に迷惑をかけているわけじゃないし」と答えたそうです。
そのとき私ははじめて、みんながみんな、神さまとお話しているわけではないことを知りました。
兄は大変優秀で、わたしの勉強の師匠でしたから、尊敬する兄が神さまとお話していないという事実に少なからず動揺しました。
兄からすれば、自分が教えてもいない「お祈り」などを、小さな妹が勝手に始めていたことに大変動揺したのでしょう。面倒見の良い兄でしたから、「俺の妹は大丈夫か?」と純粋に心配してくれたのでしょう。
そのような経験をするまでは、みんな神さまとおはなしするものだと思っていました。この感覚(神さまがそばにいてくださる感覚)は誰にでもあるものだと思い込んでいました。ところが、現実はそうではありませんでした。
それからというもの、わたしは自分の感覚と上手に折り合いをつけていかなければなりませんでした。
もしわたしが、いわゆる宗教一家に生まれていたとしたら、すんなり「イエス様」だの「阿弥陀様」だのと連呼して、よしよし信心深い良い子だということで、まわりの「信者」の皆様や親族から可愛がられたのかもしれません。
しかし、幸か不幸か、私は特定の宗教を信奉する家庭に育ちませんでした。それにもかかわらず、私には確かに、神さまへの思いがありました。
揺るぎないその思いと、現実の生活との狭間で、折り合いをつけなければならなかったのです。日常生活で下手に「神さま」などと口にすれば、「頭ダイジョブか?」とみんなに心配されてしまいますから。
そうした毎日の中で、あるときふと、頭に浮かんだのです。
「信仰と宗教は違う。」
すんなりと、本当にすんなりと、私の心に響く言葉でした。
まさしく確信と呼べるものでした。
ひょっとしたら、神さまのおことばだったのかもしれません。

もちろん、確信を得られたからといって、それから一切苦しまなかったというわけではありません。やはり共感を得たいと思うこともあるのです。それも、大人になればなるほどです。
「宗教」に属していれば、少なくとも、共感らしきものくらいは得られるのだろうか、と思ったこともありました。ところが、特定の宗教に属していた何人かとお話しても、この言葉にならない感覚を共有することはできませんでした。
お一人だけ、神父の方が、「信仰と宗教は違うのでは」と面と向かって言った私に、「すごいことを言うね…」と静かに仰っただけでした。

やはり、宗教に属しているか否かは関係ないのでしょう。
たとえ宗教に属していなくても、神さまを感じ、神さまを信頼する気持ちがあれば、その人はすでに信仰を内に宿しているのではないでしょうか。
信仰とは、感じること。
感じることは、信じることのはじまり。
その感覚に突き動かされて、もし行動を起こすことができたなら、その人はまさしく、「信仰の人」です。
PAGETOP